穴の開いた財布が僕に 金をくれ、金をくれと言う
まずはコメントのお返しから、、、
kazrock0806さん、コメントありがとうございます。
良いですよね横浜の夜も。光の一つ一つに様々な人間のドラマがあるような気がします。
氏から多大なる影響を受けた私としては、この話題に触れないわけにはいかないのですが。
当然のように賛否が飛び交っていますが、彼の作詞はまぎれもない文学ですし、ノーベル賞と言うくくりの中で評価されても何らおかしくはないです。
それにディランはミュージシャンだという言葉もよく目にしますが、60年代、70年代の若者に衝撃を与えたのは音楽よりも歌詞の方が大きかったように思います。
〜そもそもなんで村上春樹なん?〜
いや好きですよ。風の歌を聴けとか、結構何回も読んだし。新しい作品も一応チェックはしてますし。
世界的にも売れているし、その実力は世論によって確かに認められている。でもさぁ、そんなにかね? すげー!天才!パネェ!って程でもないと正直思う。影響だったり、新しさと言う点でも疑問がある。
てか芸術においての評価なんて本当に無意味なものだし、取れなかったからと言ってがっかりすることも無いだろう。変わるのは本屋の売り上げくらいなもの。
好きな作品を胸はって好きだと言い張ってれば良いんです。村上春樹の受賞を逃すたびに落胆する人たちは、自分の正しさを彼に委ねているだけだろう。
〜改めてなんでディランなん?〜
なんででしょうね。私としては今更感が凄まじいです。
仮に、仮に、ディランが評価されるべき文学者だとします。だとすれば、ノーベル賞側が歩み寄ってきたというか、くくりが広くなったということになるでしょうか。昔から今くらいのくくりの広さがあれば、もっともっと早い段階で受賞をしていたでしょうね。それこそ70年代後半にでも。
誰もが認める大物ミュージシャンなので、ディランが受賞した、ディランが受賞した、と言われがちですが、今回はディランもそうですが歌詞が文学として評価されたことが重要です。
特に日本に置いては不思議な程文学的評価がされていないように思います。どの国よりも言葉に重きを置いている民族だと思うし、歌詞がヤバい、歌詞が最高!みたいに言われるミュージシャンはかなり多いのに、それが評価の対象になることはあんまり聞かない。日本でももっと評価対象になって良いと思うけど。
そんなこんなで、今回はディランの話しでした。
今年の4月にも彼の歌う姿を目の当たりにしました。近年の彼はスタンダードナンバーもセットリストに含まれていますが、それも含めて、言葉と音楽に真摯に向き合いながら歌う姿は実に神々しく、美しかったです。
じゃ、また。
明日はSARでライブです。頑張ります。
堀
これが最期だって 光って居たい
10月10日
体育の日ですね。
運動とは無縁の人生、、、だと思われがちですが、小学生の頃からボウリングのジュニア選手で、中学生の頃はハンドボール部。意外と運動には触れています。
しかしまぁ最近はというと、運動という運動はパッタリです。駅までチャリンコ乗ったりするくらい。それでも「身体動かさなきゃ」という意識はあるので、できるだけ階段使ったり、写真撮りがてら遠回りしたりします。
あ、でも体育と身体を動かすことは違うのかもしれない。体育は体を育てるわけだから、成長させないといけないのかも? 僕のこれらはあくまでも維持だったり健康のためだったりだから、体育ではない、 のか?
〜10月9日、横浜に行く。〜
両親が小旅行で横浜まで来るということだったので、行ってきました。
昼頃に集まろうという約束だったのですが、せっかく行くし、夕方からは別の予定で帰らなきゃいけなかったので、朝から散歩してました。
せっかくの横浜なのに
天気が悪くて、、、
無事両親と落ち合えて、中華街で食事。
元気そうな様子で良かったです。2人ともまぁまぁな年なんですけど、随分と若く見えます。自分で言うことじゃないかもしれませんが。笑
で、ついでに行ったのが、原鉄道模型博物館。
鉄道ファンなので、一度来てみたかった。
いやーーーーーー、ワクワクしましたねーーーーーー!!
実物を見たこともない戦前の車両、海外の豪華列車、近代型の車両まで豊富に展示。台車、内装まで細かく再現してありました。その技術を目の当たりにし、圧倒されました。「好きこそ物の上手なれ」の極み。
更に、現物の鉄道アイテムのコレクションもスゴい。
オリエント急行のランプとか、プレート類、マスコン(ハンドル的なヤツ)はもうどれも貴重。中でも一番切符のコレクションはスゴかったですね。井の頭線の切符や、丹那トンネル開通記念切符などなど、貴重かつマニアックなレパートリーでした。
※丹那トンネル:東海道線の熱海〜函南間にあるバカみたいに長いトンネル
そんなこんなで、ここ最近にしては珍しく充実していた週末でした。
両親にも会えましたし、また次の日々への活力になったかなと思います。
じゃ、また。
堀
いつも言葉は 嘘を孕んでいる
前回のアレ、堀周平ガチで激おこプンプン丸だと思われてたみたいで、、、
ごめんなさいねー。汗
いやー、ほんとに怒ってたら直接言いますわ。
記事消してよー、と言われましたが、一度更新した記事は消さない主義なので消しませんー。
というわけで、まぁ本間氏がブログに慣れていなく、白旗を揚げてきたので、
しかたなく、
しかたなく、
しかたなく、
堀メインで更新しますわ。遼君も気が向いたら書くそうです。
何度も気が向くように言い聞かせます。
というわけで、さっき遼君と2人で会ってたわけです。私の住処、川越にて。
明日もまたスタジオなんです。(仲良しでしょ?ね?ね?!)
で、ちょっと冷たい風に吹かれながら通りをふらつき、寒くなってきたなーと。
秋ですね。この時期はどこからともなく金木犀が香ります。
なんですかね、あの金木犀の香りは。胸をギューッと締め付けられて、何とも言えない郷愁に襲われます。 高校3年頃からずっとそうです。
・・・結構そういう人、多いみたい。
匂いと記憶は結びつき易いみたいです。だから、とくに匂いの強い金木犀の匂いは、そういう思い出と結びつき易いんだそうですよ。
そんな金木犀の香り、嫌いじゃないし、実際良い匂いだなーとも思うんだけど、お香とかで自分から嗅ごうとは思わない。
そんないちいちノスタルジーに浸っていては郷愁が足りなくなる気がする。
たまに引き出されるからこそ、思い出には価値があるってもの。
でも、その思い出ってのも、正直何なのかよく分からない。
磨りガラス越しのシルエットのような、漠然とした記憶でしかない。年を重ねる毎に、ハッキリとした思い出って少なくなっているような気がする。
それでも、その金木犀の香りと共に表れる思い出は、変わらないような気がする。
さっきから"気がする"が多いんだけれど、でも漠然としたモノでしかないから、"気がする"でしか表現できない。
それでも不思議なのが、絶対忘れないんだ。漠然としたソレは、変わらずに思い出される。人間の記憶っていうのは、たとえ忘れても消えないようになっているんだろう。生きている限り、この脳みそ、手足、目、耳、鼻、口、身体中に蓄積され続けるのだろう。
秋、 金木犀、 思い出、
もうすぐ冬がやって来る。
綺麗な色も何度か重ねてゆけばいつか 悲しい黒色になる あきらめたように
本間遼がブログ書き忘れて、言っても書き忘れっぱなしなので僕も更新しません。
じゃ。