揺れる 震える 変わる
2011年3月11日。
地震発生当時、僕は部活中だった。
静岡だったけど、大きく揺さぶられるような感じで、一分以上揺れた。何とも言えず怖かったな。
遠くの方の地震だということはすぐに何となく分かったけど、その場では詳しくは知ることは出来なかった。SNSも今程発達してなかったし、そんなにひどいモノだとは予想もしなかったことだったから。
何が起きているのかを知り、ことの重大さを理解したのは家に帰ってからだった。
崩れ落ちた街。逃げ惑う人々。そして、迫り来る、あの津波。
あの信じられない津波の様子を、僕らはニュースの中継で目の当たりにした。こういう言い方が正しいのかは分からないが、映画で見る映像だった。それらが今現実に起こっているなんて到底思えなかった。
でもかろうじて、刻一刻と迫る危機、人々の緊迫した様子は感じることが出来た。
あの日から日本中が一変した。
そして、
今でも変化は続いている。
良い方へ変化していることも多いけれど、悪い方向へ変化してしまっていることも多い。
"震災から6年"ではなく、"震災が起きて6年目"なんだ。
あの日は、まだ続いています。
節目なんてあるわけがない。
あり得ないことは、必ず起こる。
僕らはそれを分かっているはずだ。
僕らが、変えるんだ。
小沢健二 〜偉大なる復活〜
かつての小沢健二が帰ってきた。
というか、再開と言った方が正しいのだけれど。
何時の日からか、実在すら怪しまれるような、謎のミュージシャンのように語られるようになった。
人気のまっただ中にパタッと姿を消し、時々思い出したかのように様々な形で姿を現してきた。
今回も、ちょっと活動してまたパタッと姿を消すかもしれない。
でも、願わくば、
今の音楽シーンに、彼の強い言葉をもっとたくさん投げかけてほしいと思う。
音楽の火を、もっと大きく、熱いものにして欲しい。
それでも、小沢健二を知っている人は、小沢健二を待ち続けるだろう。
今回のシングルのセールスは、それを裏付けるものとなった。
かつての、あの時の小沢健二が、また動き出した。
春にして君を想う
桜の開花のような喜びだ。
そうこうしているうちに、光る海が見えてきた。
堀