SAR オフィシャルブログ

音楽ユニット SAR のオフィシャルブログです。もちろんメンバーが更新します。

歌声よ響き合って 言葉も超えて にごった僕の罪を砕いてくれ

まだ若干左耳に違和感があります、堀です。

 

ちょっと前にチョコレートの話をしましたが、今はキャラメルに浮気中。チョコレートよりも食べた感があって満足できる。素晴らしいよキャラメル。チョコレートよりもキャラメルの方が言葉の響きも良い。

要するに甘いものが好きなんです。なんだか、優しく頭を撫でられているような気分になる。

 

〜実はソロでライブやってきました〜

はい、先日、渋谷サイクロンで。いつもお世話になっているkeiさんの企画への出演でした。

正直僕自身のパフォーマンスは全快ではなかったのですが、それでもみなさん楽しんで喜んで頂けたようで、良かったです。

彼女は僕の「特急列車」という歌をいつも良い曲だと言ってくれて、本当に嬉しいです。書いた甲斐があるってもんです。

 

〜sarはしばらく制作期間になります〜

僕がしばらく拠点を離れるので、それに合わせて制作期間をとります。

今後の路上ライブへの準備だったり、中途半端な(本間の)デモを(堀が)曲としてまとめる作業。そして堀は堀の曲を作ります。

その間は、遼クンにもバンバン曲書いてもらって、歌とギターの練習に専念してもらいましょ。笑

 

〜ハモる、ハモラー、ハモレスト〜

自分以外に人の声に自分に声を重ねるとは、なかなか難しい。今までは自分の声に重ねることしかしてこなかったから、思いもよらぬ課題だった。

 

コーラスというものは、基本的に目立ってはいけない。だからできるだけ無機質な方が良いし、個性は消した方が良い。

これが大変だった。キチンと歌に真面目に取り組んだ人ほど、色付けしないでノッペリ歌うことは難しいんじゃないかと思う。

 

本音を言うと、コーラスに関しては多少揺らぎを補正した方が綺麗になると思っている。

どれだけ抑えて歌っても、人の声には揺らぎがある。だからコーラスの音量を確保しつつ存在感を消すには、これが一番良い方法だ。(堀Pミキシング講座)

声を補正するのは抵抗がある人も多くいると思うので、これに関しては反対意見はいくらでも受け付けます。

 

僕は結構コーラス入れたがる人間なので、今後もこれらの苦労は続くでしょう。

理想でいうと、スピッツの崎山さんみたいな。

 

こういう向上心のようなものも、欲のひとつ、ないものねだりなのでしょう。

 

物事は始まれば必ず終わるけど、ずっと無くならないから精一杯終わりに向かっていきたい。

髪切りたい、堀です。

 

よくメンタルが弱い事をガラスのハートって表現をするけど、それってまぁまぁ丈夫なような気がする。

ガラス板や瓶なんかは薄っぺらいから簡単に割れるけど、ガラスでできたハート(心臓)はガラスの塊になるから、ハンマーで叩くにしても結構強く叩かないと割れない。欠ける程度だと思う。だからガラスのハートって、実は強いメンタルの人が持つモノなんじゃないかなと思う。

でもコイツ、厄介。割れたら誰かを傷つけるかもしれない。ガラスのハートは、できれば持ちたくない。

 

〜ほりしゅー。外耳炎だってよ〜

さて、ほりしゅーは今、外耳炎です。

左の耳の中にポコッとデキモノがあるらしく、ちょっと聞こえが悪い。不便だし、かなりのストレスである。

実は一ヶ月くらい前にもなった。その時はすぐになおったから、特に医者とかには行かなかったけれど、今回はちょっとひどそう。

合わせて耳垂れもひどくて、かゆい。耳かきしたくなる。でも出来ない。触っちゃうとだめ。でもかゆい。むずむず。。。

作業もはかどらないから、ブログでも書こうかと、そういう魂胆である。

 

耳のあれこれと言うのは、やはり怖い。僕みたいに音楽に携わる人間からしたら死活問題だ。大事にしなければいけない。

 

でも実際問題、酷使してしまっているのが現状。必然的に大きな音に接しているし、ライブハウスの音なんかは明らかに大きすぎるし、CDの音も(特に日本の場合)音圧が上がり過ぎている。波形で見ると波が分からない程上限(0デシベル)に張り付いている。いわゆる"海苔"とよばれる状態だ。

正直この現状は、耳に悪いだけでなく音楽的にも良くないと思う。大きすぎる音は、各楽器の鳴りが分かりにくくなるし、抑揚もなくなってしまう。

でももう世間一般はその大きすぎる音に慣れてしまっているから、それに合わせて音を創っていかないとどこか聞き劣りする音に感じてしまう。結局大きすぎる音になってしまう。

この負のスパイラルはどこかで解消されなければならないと思う。この過度な音圧によって台無しにされている良い音楽がたくさんある。

 

〜 迫力 < 音楽性 〜

まぁ場合にもよるけれど、迫力ってそんなに必要だろうか。 音として自然に聞こえる音の方が僕には魅力的に思う。

 

あと街に流れる音も、騒がしい。別に音なんて流さなくても、人のざわめきや風の音木の音で十分賑やかだろう。

 

ネットの中でなくても、情報は溢れすぎている。

 

どうでもいいが上の住人がうるさい。

 

では。

 

一人きりの部屋は白いキャンバスで 動けない僕はただの黒いシミでしかない

いつも通り、堀です。

ちょっと間が空いてしまいました。。。

 

SAR近況としては、まず先週のライブ。

ミスも多かったけれど、全体としてはいい雰囲気だったのでは!

ただやはりキメる所はキメたい。きちっとカッコつけれるミュージシャンになりたいですね。

あとは制作。そして制作。さらに制作。やがて制作。

 

なのにっ

機材の調子が悪い。

 

これはストレスです。  プチプチノイズがハンパねぇ。

まずそいつを解消しなければ、、、

 

 

〜じゃぁ、僕の話ね〜

最近チョコレートがおいしいです。秋はチョコレートがおいしい季節なのか。

いや、多分年中おいしい。

 

そもそもカカオ豆って苦い。

でも一般的にチョコレートって甘いもの。

苦いものをなんで甘くしようと考えたんだろう。最初に作った人は多分周囲から変な目に見られたはず。最初に抹茶のデザートを知った時、誰もがちょっと躊躇うのと同じような感じだろう(僕だけかも)。

あれ、もしかして甘くして食べたいから甘くしたんじゃなくて、保存しておく的な感じで甘くしたのか?漬け物みたいに。でも果たして保存しておくほど栄養のあるものなのだろうかカカオって。

 

・・・いや調べろよ堀周平 とも思うけど、多分調べない。知らない方が面白い。答えのない問いっていうのはこんなしょーもないことでもいいと思う。なんてったって世の中なんて大半がどうでもいいことだ。世の中において自分が関わる物事なんてほんのわずかでしかない。だから、それ以外の大半はどうでもいい。自分が生きていることさえも殆どの人、物、出来事からしたらどうでもいいこと。

でも、自分と関わるそのほんの少しの関係のある物事、人物からしたら、なくてはならない存在なんだと思う。自分がいることで、自分が何か行動を起こすことで何らかの影響を受ける人たちが確実にいる。そういう人たちがいるから、勝手なことはできない。生きている限り何かしらの歯車の一部になる。人、物事との関わりは1か0なんだなとつくづく思う。

 

そう、だから、

僕がチョコレートを食べることも、誰かに何かしらの影響を与えているのかもしれない。

そのチョコレートを買うことで、生産者の生活を支えているのかもしれないし、僕がチョコレートを買うその光景が、誰かにそれを買わせるかもしれない。

 

勿論いちいちそんなことを考えながらチョコレートを食べているわけではない。でも、そんなしょーもないことを真面目に考えることもたまにはいい。

多分明日も僕は、何の意識もなくチョコレートを食べる。そして、知らず知らずのうちに誰かに何かに影響を与える。

 

なんかちょっと締まりが悪いけど、まだ時間の流れは終わらないから良いとしよう。

 

じゃ、また。

 

例の月光を受け継ぐ

 

バイオリン空を飛ぶ

堀です。

 

最近は家に居る間はずっとヘッドホン。作業に作業。

耳のカタい部分が痛い。でもその痛み、疲労感も何となく達成感がある。

 

最近遼君が良い曲を持ってきます。

でも音源作りは基本的に僕。アレンジの中心は僕の脳みそと感性に大きく左右されます。

でもなるべく遼君のアイディアも沢山取り入れたい。せっかく二人でやってるし、二人で生まれるマジックを楽しみたい。

この間は「ストリングス入れてみようよ」と言ってきた。

最初はピンと来なかったが、アレンジしていく内に実にいい雰囲気で、感動的になった。我ながら出来がいいと思う。

 

ポップスに置けるストリングスはpad的な使われ方が多く、正直言って安っぽいものが多い。

ストリングスの効いたポップスと言えば、僕の中では"くるり"の「ワルツを踊れ(Album)」まずコンセプトとしてストリングスが前提なので、もしかすると比較するものではないかもしれませんが。。

あとはちょっと例外、「1001のバイオリン」あれはカッコいい。クラシカルな音とロックンロールの精神がぶつかって折り重なって一つになっている。

 

そもそもなんでポップスの領域にストリングスが入ってくるようになったのだろう。

最初はやっぱりビートルズなのかな。先日亡くなったジョージ・マーティンの手腕により、後期ビートルズはロックンロールの枠を大爆発させて芸術にまで到達させました。

ビートルズの成功がなければ、今の音楽みたいにエレキギターバイオリンが一緒に鳴ることはなかったかもしれませんね。

 

あ、フィル・スペクターも僕にとっては忘れちゃいけない存在です。

音圧稼ぎって意味では、こっちの方が今に通ずるストリングスの扱い方だと言えそうです。今の人たちはあんまり耳にしないみたいなので、彼の一連の音楽は是非効いてほしいと思います。ポップの何たる可が詰まっていますよ。

 

では、

久しぶりに音楽の話でした(初めて??)