傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく 放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
どうも、ブレイン堀です。
遼君のヤツ、あんな短い記事書きやがってっ。。。
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さて、9/13の初ライブの余韻に浸りながらも、次に向けて動き始めております。
新曲、カバー、合わせて5曲、新しく取り組み始めまして。
うわー難しいなーコレ、って曲もあり、おぉもうイケるんじゃね?みたいな曲もあり。上手くできる楽しさと、試行錯誤する楽しさ、何方も音楽の魅力かなと思いますね。
〜最近は歌詞についてよく考えてる〜
メジャーミュージシャンにも、ライブハウスで一緒になる人にも常々思うことですが、近頃耳にする"歌詞"は芸術からは到底遠いものです。
思ったこと感じたことそのまんま歌詞にして何が面白いんだと。それじゃ作文ですよと。少なからず芸術なんですからね、良い感じの言葉を羅列するだけじゃなくてちょっとくらいは試行錯誤してほしいもんです。
”ストレートな歌詞”なんてキャッチフレーズも殆どの人がその捉え方を間違えてる。ただ語彙力がないだけ。そんなんでごまかしてるようじゃ作詞なんてする意味が無い。
〜じゃぁどんなものを"良い歌詞"というのだろう〜
ちょっと言い忘れていましたが、あくまでも日本語の歌詞に限定して話しています。
私は日本語という言語を別段好んでいて、それはなぜかと言われれば、その美しさとか、麗しさとか、侘び寂びとか、そういったコミュニケーションツール以上の芸術性が日本語の中にはあると思うからであります。
我々日本人は遥か昔から、この日本語の芸術を追求してきました。言葉を紡ぐのはもちろん、書道を通じて文字そのものの美しささえも追い求めています。
偉人達が丁寧に築き上げてきた日本語を、僕たちは安易に取り扱うべきではないのです。作詞家ならなおさらです。
かつて夏目漱石は、"I Love You"という英語を翻訳した際に、"月が綺麗ですね"と表現しました。有名な逸話ですが、これぞまさに日本語の奥ゆかしさを表した見事な一節だと思うわけです。このセンス、この感覚こそ日本人、日本語らしいところだと思うんですよ。"あなたを愛しています"では含ませきれない、より多くのストーリーが詰め込まれているんです。この翻訳を研究するだけで何曲もの秀逸なラブソングが書けるでしょう。
基本的に歌に日本語を乗せる場合は、乗せられる言葉数は英語よりもすくなくなります。ですから、少ない言葉の中により豊かに表現する必要があるわけです。日本語の作詞という行為は、コレの追求により進歩しているのかなとも思います。
日本語芸術の原点の一つが、俳句、川柳です。3〜5つの文章のカタマリで、1つの感情や情景を表現します。これは言葉数が多くなっても同じです。一つの歌には一つのメッセージしか込められません。二つ以上のことを伝えようとしたとたんに、表現は崩壊します。
一つの確固たるメッセージ、感情、情景に、より簡潔な言葉でもって豊かに表現することが、作詞をする上でひとつの指標となるのかなと思います。
〜色々言ったけど別に今の音楽(歌詞)が嫌いなわけじゃないよ〜
多くはありませんがね。たまーーーに、「おっ、良いな」と思う歌詞に出逢います。
そういう出逢いを大事にして、自分に吸収させようと尽力いています。
ちなみに、最近の自分の作詞で一番気に入っているのは「春の日のバラード」です。
じゃ、失礼しました。
堀